風俗の客層にウケるスポーツネタ☆サッカー編(この選手及び関西のチームは特に知っておくと接客情報に役に立つかも?)

風俗の客層にウケるスポーツネタ☆サッカー編(この選手及び関西のチームは特に知っておくと接客情報に役に立つかも?)

2019/05/24
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前回のネタとしては大相撲を紹介させて頂きました、「令和」に入り新大関貴景勝をはじめとして期待の力士がいっぱいです。今回は昨年ロシアでのサッカーワールドカップベスト16に入ったことや元スペイン代表イニエスタ・元ドイツ代表ポドルスキなどかつてワールドカップやヨーロッパ主要リーグで活躍した選手が現在ヴィッセル神戸にともに在籍するなど注目が集まっています。

実は野球が好きなイメージあるかもしれませんが、サッカーもけっこう好きなのですよ。パナソニックスタジアム吹田、ヤンマースタジアム長居、ノエビアスタジアム神戸、西京極とそれぞれ年に最低1回は行ってます。

結論からいいますと実は…「サッカーが好きなお客さん」は意外と多いんです!(野球・相撲よりも多いかも?)

今回は、風俗の客層にウケるスポーツネタのサッカー編についてをご紹介します。接客において、何歳ぐらいの女性が主に知っているとよい選手の分類です。また併せて関西のJリーグのチームについても書きます。

関西のJリーグチーム

関西は現在J1リーグにガンバ大阪、セレッソ大阪、ヴィッセル神戸が、J2リーグに京都サンガがそれぞれ在籍しています。(またガンバ大阪、セレッソ大阪はそれぞれU-23のチームを作りJ3リーグに参戦しています)

ガンバ大阪


前身は松下電器のサッカー部で1993年Jリーグ創設時から在籍している「オリジナル10」のクラブの1つです。創設時は低迷を続けましたが、エムボマ(1998年まで在籍)が加入しエムボマが得点王になった1997年以降徐々に上昇。稲本潤一(2001年途中海外挑戦に伴い退団、現在はJ3相模原に所属)や現在の監督でもある宮本恒靖、そして今もガンバで活躍を続ける2001年から加入の遠藤保仁らが基礎を作り、2002年から監督就任した西野朗監督の4年目2005年ついにJ1リーグを制覇。西野監督のもと10年間強豪のチームを作りました。西野監督が去った2012年、守備が崩れJ2降格しましたが、2013年長谷川健太監督(現在はFC東京監督)就任でJ2優勝し1年で復帰。2014年に現在はドイツで活躍している宇佐美貴史、現在はサンフレッチェ広島に在籍のパトリックの2トップに、新潟から加入した代表GK東口順昭らの活躍でリーグ、ナビスコカップ(現在のルヴァンカップ)、天皇杯の三冠を達成。2016年にはサッカー専用の新スタジアムパナソニックスタジアム吹田(吹田スタジアム)が完成。(それまでの本拠地万博記念競技場はJ3のU-23の一部の試合ならびに陸上、アメフト、ラグビーで使われることに)昨年は前半低迷し一時は降格圏内にいましたが7月末に就任した宮本監督のもと9月からの9連勝で最終的には9位。今季さらなる躍進が願われます。(これを書いている時点での今年の順位は芳しくないですが)

セレッソ大阪


前身はヤンマーディーゼルのサッカー部。1995年にJリーグに加入。なかなか上位進出できなかったが2000年ファーストステージ優勝のチャンスが訪れる。現在はセレッソ大阪の社長でもある森島寛晃、そして現在はアンバサダーを務めている西澤明訓の2トップで優勝争いしますが、最終節ホームで川崎に敗れ優勝を逃してしまいます。2001年J2降格も1年で復帰、2005年最終節ホームで勝てば優勝の試合で後半アディショナルタイムに追いつかれ引き分けて優勝を逃してしまいます。2006年に再びJ2降格、次の昇格は2010年まで待つことになりますがその間に後に海外で活躍する香川真司、乾貴士が主力に。GKキム・ジンヒョンは現在もセレッソの守護神として10年以上ゴールを守り続けています。2010年3位、2013年4位も2014年フォルラン(ウルグアイ代表)の加入で期待されるもシーズン途中に柿谷曜一朗が海外挑戦。最終的に17位でJ2降格。2015年はプレーオフで敗れるも、柿谷や杉本健勇(現浦和)、山口蛍(現神戸)らが続々復帰した2016年プレーオフで勝ち上がりJ1昇格。2017年にはユンジョンファン監督のもとルヴァンカップと天皇杯を制覇。2019年からは東京ヴェルディを2年連続プレーオフに導いたロティーナ新監督のもと新たなサッカーが期待できます。(杉本移籍に伴い新たに加入したFW都倉賢が膝の大怪我で今季絶望になったのは残念ですが)本拠地はワールドカップや世界陸上で使われたヤンマースタジアム長居(長居スタジアム)で、現在は隣にあるかつての金鳥スタジアム(長居球技場)は改修中で2021年まで改修が行われます。

ヴィッセル神戸


前身は川崎製鉄サッカー部。始動予定日だった1995年1月17日阪神淡路大震災に見舞われる。メインスポンサーが震災の影響で撤退する困難を乗り越え1997年Jリーグに。(1995年にガンバ大阪・清水エスパルスで活躍していた永島昭浩が加入したのも大きかった)2001年には三浦知良(カズ)が加入、さらに神戸ウイングスタジアム(現在はノエビアスタジアム神戸)がオープン。チームはJ1残留こそ続けられるも経営状況が悪い中、三木谷浩史(兵庫県出身です)楽天取締役が新たにチーム再建に乗り出す。(現在のカラーのクリムゾンレッドなのはそれもある)カズが横浜FCに移籍した2005年J2降格も1年で復帰。大久保嘉人(現磐田)、伊野波雅彦(現横浜FC)、宮本恒靖(現ガンバ大阪監督)ら在籍した時期もありましたが監督交代が頻繁に繰り返されたりもあって成績も決して毎年いい成績を残せていない印象が有ります。(2012年J2降格も翌年J1復帰)最近は元ドイツ代表のポドルスキ、元スペイン代表のイニエスタ、ビジャとワールドカップやヨーロッパの主要リーグで活躍してきた選手ならびにセレッソ大阪から山口蛍らを続々補強していますが今年は4月からずっと連敗中で監督も昨年途中から就任したリージョ監督が辞任、昨年前半監督していた吉田孝行監督が復帰と迷走している印象があります。

京都サンガ


前身は戦前からの京都紫光クラブで、1993年に京都パープルサンガになり1996年にJリーグへ。いきなり開幕17連敗で悪い意味で注目を集めてしまいました。1999年途中カズも加入するが、2000年初のJ2降格。カズも神戸に移籍。2001年J2で優勝、2002年リーグを5位で躍進、天皇杯も名門の鹿島を下してJリーグ発足後関西勢に初のタイトルをもたらしました。現在はカズと再び横浜でチームメイトになった松井大輔がブレイクした頃でもあります。(松井は2004年途中海外挑戦で退団)しかし翌年韓国代表パクが退団すると再び降格。その後は2005年J2優勝で昇格、2006年J1最下位で降格、2007年入れ替え戦で槙野・柏木・佐藤寿人ら擁する広島を下し昇格とエレベーター状態に。2010年加藤久監督体制4年目低迷し加藤監督退任で秋田豊コーチが監督昇格も改善されず降格。2011年以降はJ2での戦いに。2012年、2013年、2016年プレーオフ進出も昇格できず。2017年元日本代表田中マルクス闘莉王加入も2017年、2018年と一時はJ3降格圏内に入ってしまう成績(どちらも最終的に残留)で2019年中田監督が就任。天皇杯優勝監督のエンゲルスも再びコーチで復帰。今年は来年から亀岡に新スタジアムオープンに伴い長年慣れ親しんだ西京極ラストイヤー。昨年・一昨年とは戦い方が大きく改善されている印象があります。

以上、関西の4クラブを紹介させていただきました。

次項では主な世代を彩った選手を紹介していきます。

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ドーハの悲劇、歓喜の岡野のゴール、日韓W杯

Jリーグが発足した1993年。翌年のワールドカップ出場が目前に迫ったあの後半ロスタイムのまさかの同点ゴール。W杯出場が消え選手がフィールドに倒れこむシーンは忘れられません。4年後今度は歓喜の瞬間が。岡野雅行のVゴールでイランを下しワールドカップ出場決定。日本各地お祭り騒ぎでした。初のワールドカップ出場の1998年こそ3連敗でグループリーグ敗退(中山雅史の足骨折しながらのゴールは印象的でしたが)、岡田武史監督がカズを直前で外すまさかの事態も。トルシエ監督が指揮した2002年日本韓国共催でのワールドカップではベスト16に。決勝トーナメント進出決めたその日の夜は道頓堀がまるで阪神が優勝したかのように飛び込む人が。(注:絶対に飛び込んではいけません。)その頃の主な代表選手をピックアップします。

三浦知良(カズ)


高校在籍中に単身ブラジルへ。8年近くブラジルを経てJリーグ創設が近づきつつある1990年から読売(現在の東京ヴェルディ)へ。1993年Jリーグ初年度ヴェルディ川崎(当時の名称です)の優勝に貢献し自身もMVPに。イタリアやクロアチアのチーム(一旦ヴェルディ復帰はさんで)を経て、京都、神戸、さらには2005年から現在まで横浜FCに在籍(一時的に豪州シドニーに期限移籍した時期もある)。52歳になってもなお現役としてプレーを続ける選手に。ワールドカップは初出場の時直前で岡田監督に外されることも。背番号は一貫して「11」(途中入団の際に埋まってた時期を除く)、Jリーグ創設の頃あたりからカズダンスのゴールパフォーマンスを行っていて東日本大震災のあった2011年長居スタジアムで行われたチャリティーマッチや阪神淡路大震災からちょうど20年の2015年ノエビアスタジアムでのチャリティーマッチでも披露していました。フットサルの日本代表として選ばれたこともあります。

井原正巳


筑波大学から現在の横浜Fマリノスの前身でもある日産自動車に1990年に入団。大学時代は中山雅史とセンターバックでコンビを組んでいたことも。1993年のヴェルディ川崎との開幕戦にも1998年フランスワールドカップにも出場しています。マリノスを退団したあとは磐田・浦和にも在籍して2002年引退。アジアの壁として1990年代を代表するDFとして活躍。引退後は解説者を経て柏レイソルのコーチ・監督、アビスパ福岡の監督を経て現在は再び柏のコーチに。福岡では2015年プレーオフからJ1昇格に導いています。

ラモス瑠偉


1977年に日本に来日。後のヴェルディ川崎となる読売クラブの中心選手としてJリーグ創設直後まで長年活躍。日系ブラジル人で1989年に帰化しました。一時京都に移籍した年(相性が悪い監督が就任したことによる)もありましたが、その監督が辞任すると即V川崎に復帰。1999年42歳で引退するまで長年読売・ヴェルディの顔として活躍しました。背番号はカズが「11」にこだわりあったのに対し、ラモスは「10」にこだわりを見せていました、引退後は柏のコーチや東京V(2007年に監督としてJ1復帰させている)・岐阜の監督を経て現在はビーチサッカー日本代表監督です。余談ですがプロ野球楽天のオコエ瑠偉も名前の由来はラモスにあります。

中山雅史


筑波大学時代は一時井原正巳とセンターバックを組んでた時期もありましたが、もともとはエースストライカーで1990年現在のジュビロ磐田の前身でもあるヤマハに入団。1993年磐田はJFLでしたが、ドーハの悲劇の時の日本代表主力として出場していました。(磐田は1994年からJリーグに)1998年には初のワールドカップ出場の際足を骨折しながらゴール決めたのとその直前にはギネス記録になった4試合連続ハットトリックも。故障と戦いながらも2009年まで磐田に在籍(1998年と2000年には得点王)、その後札幌で3年間プレーし一旦引退も2015年から沼津へ。在籍こそ現在もしていますが故障の影響から1試合も出場していません。(解説者としての仕事の方が逆に多いです)

森保一


1987年今のサンフレッチェ広島の前身マツダに入団。ボランチとして日本代表及び広島で活躍する。その後京都、広島、仙台と渡り歩いて2003年仙台のJ2降格とともに引退。その後は広島に戻りコーチ、そして2012年からは現在は札幌で監督しているペトロヴィッチ監督が浦和移籍に伴い退団するのを引き継いで広島の監督に。2012年いきなり優勝すると、2013年も最終節に逆転で連覇。2015年も優勝で2017年途中に辞任するまで6年弱で3回優勝しています。2017年途中から五輪代表監督、2018年ロシアワールドカップ直前からはコーチに、そして大会終了後西野朗監督を引き継いで代表監督に就任し五輪代表監督も兼任することに。

城彰二


高卒ルーキーで市原(現在の千葉)に入団した1994年開幕戦でゴール挙げいきなり4試合連続ゴール。1997年から横浜マリノスに移籍し、イランとの代表決定戦では同点ゴールを挙げて初のワールドカップ出場に貢献。しかしワールドカップで活躍できずサポーターに空港で水をかけられたことも。スペイン移籍を経て横浜に復帰、神戸、そしてJ2の横浜FCに移籍。2006年横浜FCのJ1昇格に貢献すると同時に引退。引退後は日本テレビ系での解説をしながら、生まれ故郷北海道のクラブチームの統括GMに現在は就いています。

森島寛晃


1991年セレッソ大阪の前身ヤンマーに入団。以降引退するまでヤンマー・セレッソ大阪一筋18年現役を全うする。その間2回J2降格(引退した2008年も実はJ2でした)するも、一度もチームを離れず。2002年セレッソの本拠地でもある長居で行われたワールドカップチュニジア戦は初の決勝トーナメント進出を決める決勝点を叩きだしました。現役時代は「日本一腰の低いJリーガー」と称されていました。引退後はセレッソのアンバサダーを経て今はセレッソのクラブ社長に就任。現役時代の背番号「8」は後に香川真司、清武弘嗣、柿谷曜一朗といった中心的選手に引き継がれています。

岡野雅行


大学を中退して浦和に1994年入団。1年目から得点を挙げる活躍。1997年あのイランとの代表決定戦のVゴールは日本中を歓喜に包みました。「野人」と呼ばれトレードマークの長い髪をなびかせ浦和、神戸、浦和で活躍し最後はガイナーレ鳥取で引退。今はその鳥取の取締役GMに就任しています。鳥取県米子市にある「チュウブYAJINスタジアム」はこの岡野がルーツになっています。

中田英寿


1995年当時Jリーグに在籍していた12クラブ中11クラブからオファーを受けその中でベルマーレ平塚(現在は湘南ベルマーレ)に入団。トップ下で頭角を現しマイアミの奇跡のアトランタ戦勝利や、ワールドカップ初出場に貢献。そしてフランスワールドカップ後イタリアセリエAのペルージャに入団。以後ローマ、パルマ、ボローニャ、フィオレンティーナそしてイングランドのボルトンと各海外クラブで活躍を続け2002年日韓W杯、2006年ドイツW杯を経て29歳の若さで惜しまれつつ引退。引退後は世界各地を旅する人になっていて、かつ現役時代から実業家としても活動しています。

小野伸二


1998年浦和に入団。いきなり高卒ルーキーでワールドカップ本大会出場。1999年に膝の靭帯を断裂してしまうも翌年降格した浦和を最年少の主将として1年でJ1復帰させる活躍をしました。2001年オランダのフェイエノールトに移籍し、2006年浦和に復帰し浦和の初優勝に貢献、2008年ドイツのボーフムを経て、2010年には高校時代からオファー出していた故郷静岡県のクラブ・清水エスパルスに入団。オーストラリアのクラブ移籍を経て2014年からはコンサドーレ札幌に移籍し現在も札幌で現役です。

川口能活


1994年横浜に入団し2年目に早くもポジション確保、1995年チャンピオンシップで連覇していたV川崎を下し横浜の初優勝に貢献。2001年からはイングランドのポーツマスに移籍し、以後デンマークのクラブを挟んで2005年からは生まれ故郷静岡県のジュビロ磐田に。磐田で9年間プレーして岐阜・相模原と経て昨年末引退。逆境に非常に強く「炎の守護神」と称されたことも。マイアミの奇跡のときのキーパーでもありました。

楢崎正剛


1995年横浜フリューゲルスに入団。正GKが長期出場停止で離脱している間に新人ながら正キーパー定着。フリューゲルスは1998年でマリノスと合併し消滅。最後の試合の天皇杯優勝に貢献した後名古屋へ移籍。以後2018年まで20年間名古屋にずっと在籍し、2010年名古屋のリーグ初優勝にも大きく貢献し今年初頭に現役を引退。代表でも2002年日韓W杯で全試合GKを務め長らく川口と代表の正GKを争い続けました。現在は名古屋のCSF(クラブスペシャルフェロー)として活動しています。

ドーハの悲劇が小学生時代だった私にとってこの世代は今や30代後半から40代前半になるのですよ。この頃大人だった人も50代以上に。しかし彼らの存在があったからこそ今の日本サッカーの基礎が築けましたしそれを忘れてはいけません。初のワールドカップ出場も今の日本代表への大きな財産です。

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中田英引退のドイツW杯、岡ちゃん2度目の南アフリカW杯

鹿島の礎を作ったジーコ監督が2004年アジアカップ、数々の死闘を制し2006年ドイツでのワールドカップに臨むも、初戦のオーストラリア戦(当時はオーストラリアはオセアニア枠でした)での痛い逆転負けが尾を引きグループリーグで敗退。その後オシム監督就任も病気を患い岡田監督が復帰。下馬評は相当低かったが2010年ブブゼラ(実は自宅にあります)の音が響き渡る南アフリカ大会。初戦でカメルーンに勝ってその勢いで決勝トーナメントへ。パラグアイにPK戦の末敗れましたが、下馬評が低い中健闘したと思います。

中村俊輔


1997年横浜マリノスに入団。その年新人賞に輝き、2年後にはトレードマークでもある背番号「10」に。日韓W杯ではトルシエ監督と構想合わず惜しくも落選したが直後イタリアのレッジーナ、スコットランドのセルティック、スペインのエスパニョールへ。セルティックでは連覇に貢献。2010年から横浜に復帰、2011年以降は6年間キャプテンを務め2017年からは磐田に移籍。40歳になった今も現役です。左足からのフリーキックには定評があります。

遠藤保仁


遠藤三兄弟の三男で高卒すぐに横浜フリューゲルス入団も1年で合併に伴い消滅。その後2年間京都でプレーした後、2001年から現在までずっとガンバ大阪でプレー。2005年ガンバが初優勝決めたときは優勝決定試合で決勝ゴールを決め、2014年三冠のときは今野とのダブルボランチで攻守に活躍。代表でも2006年ドイツから2014年ブラジルまで3大会連続でW杯に出場しています。

宮本恒靖


ガンバ大阪ユースからそのままガンバへ。守備の要として2005年の初優勝に貢献し、2007年からザルツブルク(オーストリア)へ。2年後2009年神戸に移籍。神戸で3年間プレーし2011年をもって引退。引退後ガンバ大阪コーチを経て、J3のU-23監督に就任。そして昨年クルピ監督途中解任に伴い7月から監督へ。降格圏内だったチームを9月からの9連勝で9位に押し上げ一気に残留に導きました。

長谷部誠


高卒から浦和に入団、主にボランチなど中盤の要で浦和の初優勝・初のACL制覇などに貢献して2008年以降はドイツブンデスリーガに挑戦。ヴォルフスブルクで5年、ニュルンベルクを経て現在はフランクフルトで活躍していてドイツでのプレーは10年を超えています。日本代表でも2010年W杯から3大会連続でキャプテンを務め、2010年・2018年は決勝トーナメント進出に貢献しています。

本田圭佑


星稜高校から名古屋グランパスに入団、3年後オランダのVVVフェンロに入団。以後ロシアの強豪CSKAモスクワ、イタリアセリエAの名門ACミラン、メキシコのパチューカ、オーストラリアのメルボルンFCでいずれも主力として活躍。代表でも司令塔として2010年W杯初戦カメルーン戦の決勝ゴールをはじめ2018年までのW杯3大会全てでゴールを挙げています。余談ですが、お笑い芸人「じゅんいちダビッドソン」さんは本田圭佑のモノマネ芸人です。

長友佑都


大学在学中にFC東京に入団。FC東京で左サイドバックとして活躍し、2010年W杯での活躍が認められ、イタリアセリエA挑戦。チェゼーナで半年プレー後名門インテルへ。インテルで7年半豊富な運動量で主力として活躍し続け、現在はトルコの強豪ガラタサライに在籍しています。妻はタレントの平愛梨さんで「アモーレ」という言葉が流行語大賞にノミネートされたことも。

岡崎慎司


清水エスパルスに高校卒業後入団。当初は評価が低かったがサテライトで経験を積み清水の攻撃の軸に。2010年南アフリカW杯で決勝トーナメント進出に貢献し2011年からドイツへ。シュトゥットガルト、マインツへ。特にマインツで開花し、イングランドプレミアリーグレスターへ。レスターで132年目の初優勝の大きな原動力に。(今年退団することになりますが)運動量豊富で泥臭くゴールを狙うのも彼の特徴です。

中澤佑二


高校卒業後どこからもオファーかからず、ブラジルへ。2年後1998年ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)に練習生として加入(⇒翌年からプロ契約)、その年の新人王獲得すると2002年からは横浜Fマリノスへ。横浜で2002年から昨年まで17年間センターバックとして活躍し引退。2006年、2010年W杯も出場し後者は闘莉王とともにセンターバックのコンビで決勝トーナメント進出へ貢献。愛称の「ボンバー」は若い頃トレードマークだったアフロヘアーが由来でユニフォームの背中の名前も「BOMBER」でした。

田中マルクス闘莉王


高校時代ブラジルから日本に留学。そこから広島と水戸でプレー。水戸で攻守両方できる選手として才能開花し、2004年浦和へ。(この頃日本国籍も取得)浦和でリーグ優勝、ACL優勝に攻守で貢献。その後ストイコビッチ監督率いる名古屋へ2010年移籍するとそこでいきなり優勝の原動力に。DFでありながらも1試合4得点とった試合も。2015年末一旦退団も、2016年降格寸前の名古屋に復帰もJ2降格。2017年からは京都でプレー。今年は途中出場がほとんどだが攻守に重要なピースに。日本代表でも2010年W杯で活躍し決勝トーナメント進出に導いています。

松井大輔


高校卒業後憧れのカズが当時在籍していた京都へ。京都は在籍中2度降格するが、2002年度天皇杯の優勝に貢献。2004年途中からフランスに活躍の舞台を移し以後ブルガリア・ポーランドを経て2014年から磐田へ。磐田のJ1復帰に貢献して、再びポーランドを経て今は再び横浜FCでカズとチームメイトに。代表でも2010年W杯カメルーン戦での本田の決勝ゴールのアシストがありました。

川島永嗣


高卒後大宮、名古屋を経て2007年に初のACL控えた川崎で一気に才能が開花。そして2010年W杯で川口・楢崎を押しのけて正GKに。以後2014年、2018年と3大会連続で守り続けています。前述2010年W杯後に海外挑戦でベルギー、スコットランドを経てフランスのストラスブールに在籍しています。かつてブラジルとの親善試合であのネイマールのPKを止めたこともありました。

この世代になるとちょうど我々30代(後半です)にとっては近い年代の選手も多く、海外挑戦する人も多くなってきました。日韓W杯を経て苦しい時期がありましたが本田や岡崎、川島、長友らが輝きはじめ2度目の岡ちゃん(岡田武史監督)のもと決勝トーナメントへ。

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ザック体制2014年と大会直前で西野監督登場2018年、そして未来へ

ザッケローニ監督のもと2011年アジアカップ、李忠成の決勝ゴールで優勝をもたらすもコンフェデ杯そしてブラジルW杯で惨敗。その後はアギーレ監督就任も不祥事絡みで辞任、ハリルホジッチ監督でロシアW杯出場こそ決めるも選手との間に溝が大きくW杯まで2ヶ月ほど手前で急遽解任。マイアミの奇跡と呼ばれたアトランタ五輪で監督しガンバ大阪でも10年間監督経験のある西野監督登場。ザッケローニ時代惨敗したコロンビア戦数的優位を活かし勝利を収めポーランド戦敗れるも西野監督の傷を広げない負け方をとる戦術で決勝トーナメントへ。ベルギーに2-0からひっくり返され初のベスト8は惜しくもお預けでした。そして森保一(もりやすはじめ)監督が就任。若い新たな力でさらに上を目指しての戦いです。アジアカップは惜しくも準優勝でしたが。

香川真司


高校生にしてセレッソ大阪と契約。2007年からセレッソはJ2で戦うことになるが、その3年間でレギュラー掴み背番号もセレッソの顔の「8」を獲得。2009年J2得点王でJ1へ。2010年ドルトムント(ドイツ)へ移籍するまで11試合で7得点挙げる活躍。ドルトムントで2度の優勝(1度目はアジアカップでの骨折で後半は出れませんでしたが)、イングランドプレミアリーグマンチェスターユナイテッドを経てドルトムントに戻り今はベジクタシュ(トルコ)に在籍しています。日本代表では昨年W杯のコロンビア戦でPKで先制ゴールを決めました。

山口蛍


ユース時代からセレッソ大阪に在籍。2011年途中から中盤でレギュラー定着し、2015年まで在籍(2014年夏の膝の故障で残り全て休場でJ2降格も2015年は残留)。2016年ドイツのハノーファーに移籍も半年後復帰してプレーオフでのJ1復帰に貢献。2017年もルヴァンカップ、天皇杯優勝に貢献も2019年今年から神戸に移籍。開幕戦ヤンマースタジアム長居ではかなりのブーイングを受けました。W杯は2014年、2018年で出場だが2016年の最終予選イラク戦の後半アディショナルタイム自分の誕生日を飾る決勝ゴールが印象に残ります。

大迫勇也


鹿児島城西高校で高校サッカー準優勝に貢献し鹿島へ。新人からコンスタントに試合に出場し、2年目からスタメン定着で5年目2013年には19得点挙げる活躍でした。2014年からはドイツに活躍の場を移し(ミュンヘン、ケルンを経て現在はブレーメンです)、代表でも昨年のW杯コロンビア戦でヘディングで決勝点を叩きだしました。また高校時代大迫と対戦した相手の高校の選手が残した「大迫半端ないって」が昨年W杯の頃から話題になり流行語大賞トップテン入りも果たしました。

吉田麻也


2007年に名古屋グランパスに入団し、2010年からオランダVVVフェンロへ。2012年からあ現在までイングランドプレミアリーグのサウサンプトンに在籍し守備の要として日本代表やサウサンプトンで活躍しています。日本代表では長谷部が故障で離脱する際はキャプテンを務めています。(その後ロシアW杯をもって長谷部が代表引退の為、今は吉田がキャプテンに)

乾貴士


横浜Fマリノスに入団も出場機会に恵まれずセレッソ大阪へ(当時J2でした)。香川真司とのコンビでJ1昇格に貢献し、2011年以降はドイツ(ボーフム→フランクフルト)、スペイン(エイバル→ベティス→アラベス)で活躍。日本人選手がなかなか活躍できないスペインリーガエスパニョーラで活躍しているのは特筆されるべきことです。昨年のW杯でもセネガル戦とベルギー戦でゴールを決めています。

昌子源


2011年鹿島に入団。2014年全試合出場すると、2016年守備の要としてリーグ優勝とクラブワールドカップで決勝でレアルマドリードに敗れるも準優勝に貢献。2018年W杯でセンターバックとしてコロンビアの攻撃陣を封じ込めるなど活躍し、夏に海外からオファー受けるも断り、ACL初優勝に貢献。そしてそれを置き土産に今年からはフランスのトゥールーズFCへ。

柴崎岳


青森山田高校時代に高校サッカー準優勝で、高2の時点で鹿島入団を内定していました。2012年からレギュラーになり2016年鹿島の優勝、そしてクラブワールドカップ決勝でレアルマドリードから2ゴール(試合は延長戦の末敗戦)奪い一気に注目されました。スペインのテネリフェに半年在籍後現在のヘタフェへ。昨年のW杯ではベルギー戦で原口の先制ゴールをアシストしました。妻は歌手や女優でもある真野恵里菜さんです。

堂安律


ガンバ大阪ユース時代の高校2年だった2015年に公式戦デビュー。2016年からはJ3のガンバ大阪U-23チームで結果を出し夏からはトップチームでも試合に出る機会増えました。そして2017年U-20W杯で活躍して、その年の7月オランダのフローニンゲンに移籍。フローニンゲンでも主力で活躍し続け、今年1月のアジアカップでも準々決勝のベトナム戦でゴールを挙げています。兄の堂安憂はJ3の長野に在籍しています。

南野拓実


高校卒業した2013年セレッソユースからトップチームセレッソ大阪に昇格し、ルーキーながら主力に定着。翌年J2降格後、オーストリアのザルツブルクに移籍。以後ザルツブルクの主力として活躍しています。森保体制になってから日本代表の常連で、アジアカップ準決勝では大迫のゴールをアシストしたり、決勝では敗れはしたものの反撃ののろしとなる得点を挙げました。

この世代になってくると20代後半から30歳ちょっと過ぎの選手が多い印象がありますが、その中でも南野や堂安のような20代前半の若いイキがいい選手が出てきたのは素晴らしい限りです。どちらも関西に非常に縁のある選手なので次のW杯での活躍が非常に楽しみです。

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まとめ

野球・相撲ときてサッカーですが、こちらも各世代を彩った選手によってわかれてきますね。ただ1つ言えることですが昔私が小学校時代Jリーグになる前は日本はW杯に出ることさえできなかったのが、Jの誕生とともにW杯にも出場できるようになり、今や出場国の常連になりました。Jリーグも全国各地にチームができ、海外でも活躍する日本人選手も増えてきました。いつかはW杯で優勝してほしい気持ちですが、まずは次の大会は準々決勝に進出したいところですね。

阪神タイガースを中心にプロ野球を年間20試合近く観戦している部員。最近では野球以外にもサッカーや大相撲の観戦も。

この記事のライター

torakichi

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はじめまして、ビガーネット編集部員です。 阪神タイガースを中心にプロ野球を年間20試合近く観戦して...