風俗の客層にウケるスポーツネタ☆大相撲編(この力士は特に知っておくと接客情報に役に立つかも?)

風俗の客層にウケるスポーツネタ☆大相撲編(この力士は特に知っておくと接客情報に役に立つかも?)

2019/05/07
1,506 views

前回のネタとしてはプロ野球を紹介させて頂きました、主に地元球団で昨年最下位からの巻き返しを狙う阪神タイガースの話でした。今回は最近貴景勝が大関に昇進して、さらなる盛り上がりを見せている大相撲編です。

実は前回の大阪場所(春場所)12日目難波にあるエディオンアリーナ(大阪府立体育会館)で生で観戦していました。豪栄道と貴景勝の関西出身力士同士の一番が特に盛り上がりました。

結論からいいますと実は…「大相撲が好きなお客さん」は意外と多いんです!(ある親方やある力士は常連客だという噂も)

今回は、風俗の客層にウケるスポーツネタの大相撲編についてをご紹介します。接客において、何歳ぐらいの女性が主に知っているとよい力士の分類です。

相撲の日程と番付

大相撲と言えば本場所は年6場所、奇数月の前半の日曜日に始まり2週間後の日曜日まで合計15日間、年間で90日間行われます。1月の初場所、5月の夏場所、9月の秋場所は東京の両国国技館で行われ、3月の春場所はエディオンアリーナ(大阪府立体育会館)で、7月の名古屋場所はドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)で、11月の九州場所は福岡国際センターで開催されます。

また春場所が終わって夏場所までの間は春巡業が、名古屋場所が終わって秋場所までの間は夏巡業が、秋場所が終わって九州場所までの間は秋巡業が、九州場所が終わって年末までの間は冬巡業が行われます。2月には大相撲トーナメントや福祉大相撲もあって実際に休めるのは6月頃ぐらいと常にタイトなスケジュールです。

基本的に本場所は朝から行われ、18時(夕方6時)頃には全ての取組が終了します。(NHKでのテレビ放送は三段目の途中あたり13時頃からBS1で始まり、十両の取組の途中15時頃(他のスポーツ中継や国会中継がある場合は16時か17時頃)から総合テレビに移行します)そして夜中にはBS1と総合テレビでその日の幕内全取組のダイジェスト放送が行われています。

番付は横綱、大関、関脇、小結とあってそれ以外の幕内力士は前頭と言われます。今挙げた方々が幕内で相撲を取ります。幕内の下は十両でここまでが関取と呼ばれ15日間毎日相撲を行います。

十両より下は幕内・三段目・序二段・序ノ口と続きまして、これらの力士は15日間のうち7日間だけ相撲を戦うことになります。

野球同様相撲でもこの力士が好きだった。というのは世代によって様々です。ある世代ではモンゴル人横綱、ある世代では若貴兄弟や曙、ある世代では千代の富士や小錦と様々な名前が浮かんでくる思います。

次項では主な世代を彩った力士を紹介していきます。

⇒18才・19才・20代歓迎の求人はコチラ

⇒20代後半~30代歓迎の求人はコチラ

⇒30代・人妻歓迎の求人はコチラ

⇒40代・50代・60代~・熟女歓迎の求人はコチラ

モンゴル人横綱大暴れと久しぶりの日本人横綱も怪我に泣く稀勢の里

21世紀に入り、朝青龍や白鵬などモンゴル出身の力士が台頭し、それまでの外国人力士といえばハワイだったのがモンゴル中心に変わりました。朝青龍をきっかけに白鵬、日馬富士、鶴竜が横綱にそれぞれ昇進。白鵬はなんとそれまで大鵬が持っていた32回の優勝回数を大幅に更新する42回の優勝を成し遂げました。そのモンゴル人力士全盛期の中紆余曲折ありながらも若乃花(三代目)以来の日本人横綱にたどり着いた稀勢の里など現代にも様々な人気力士の台頭で今の相撲人気を支えています。この世代の主な力士をピックアップしていきます。

朝青龍


高校野球でよく名を聞く明徳義塾高校(高知県)に相撲留学。1999年に角界に入門し、21世紀になると同時に新入幕。新入幕から10場所経った2002年秋場所に大関昇進、その年の九州場所と翌年の初場所を連続優勝して横綱に昇進。初土俵からわずか25場所での横綱昇進は歴代最速でした。横綱に昇進してからは23回(通算では優勝25回)優勝していますが、特に2004年から2005年の2年間は2004年秋場所を除いて全て優勝で、2005年は完全制覇を成し遂げました。その反面お騒がせな部分も多く、療養中に母国モンゴルでサッカーしている件が発覚して2場所の出場停止になることも。白鵬との横綱決戦を制して相撲ではなかなか見られない大きなガッツポーズをして横綱審議委員会から注意を受ける事もありました。2010年初場所優勝した直後に暴力事件を起こしその責任をとる形で引退になってしまったのは本当に残念です。

白鵬


2001年角界に入り最初の場所序ノ口で負け越してしまいました。今の白鵬を考えると意外に感じるかもしれません。入門したての頃は小柄で細いイメージだったのがたくさん食べて成長、2004年初場所で十両、春場所で優勝し2004年夏場所で新入幕を果たす。2006年春場所終了後大関昇進し、いきなり夏場所で優勝。2007年には春場所優勝、そして夏場所を全勝優勝して横綱に。横綱になってからは平成を代表する横綱として優勝回数前述の大鵬を大きく更新する42回(横綱になってからは39回)、年6場所それぞれで全勝優勝の経験あるなど最強の力士と言っても過言ではありません。通算勝利数1120勝や幕内通算1026勝も歴代トップです。平成最後の今年の春場所でも全勝優勝でした。2015年秋場所休場してから最近は休場することが増えていますが、それでも出場したときはしっかり結果を前述の春場所のように残します。その一方で相撲界の不祥事があった頃に1人横綱として相撲を支えてくれていた貢献度がある一方で、最近ではテーピングした肘からのかち上げやダメ押しが再三問題になることも。優勝インタビューの際に三本締めしてしまい横審の逆鱗に触れたこともありました。

日馬富士


白鵬より1場所早く2001年初場所入門。当時は「安馬」というしこ名でした。小柄ながらもスピード感あふれる力士で同じく小柄ながらも横綱として長く活躍した千代の富士をお手本にしていました。2004年春場所に新十両、その年の秋場所で十両優勝して九州場所では新入幕を果たします。そして2008年初場所以来ずっと在位していた関脇で迎えたその年九州場所で白鵬に優勝決定戦で敗れ優勝はできなかったですが、3場所通算35勝で大関に昇進。同時に今のしこ名「日馬富士」に改名。大関昇進後は2009年夏場所(これが初優勝)、2011年名古屋場所こそ優勝しますが不安定な成績が続きました。2012年名古屋場所と秋場所連続全勝優勝で横綱に昇進。横綱昇進後は小さな体で怪我もあって成績自体は白鵬ほど安定はしなかったですが、その中でも5回優勝しました。しかし2017年秋の巡業で後輩力士に暴行を行ってしまい九州場所後に引退表明。まだまだ十分やれるはずだったのに本当に悔やまれます。

鶴竜


同じモンゴル出身の横綱白鵬・日馬富士の陰に隠れている印象があるがその2人に続いて横綱に。入門当初から向上心は高い力士であったが三段目で苦戦する時期がありました。2004年名古屋場所で優勝して、秋場所から幕下へ。2006年春場所から十両で4場所連続9勝6敗で九州場所で新入幕。当初は平幕の上位下位をウロウロしていましたが、2008年初場所で技能賞獲得しこの場所2桁勝利挙げると2012年春場所で白鵬に優勝決定戦の末敗れるもこの場所で大関昇進。(技能賞をその間7回獲得)大関当初はなかなか勝てず2桁勝てるかどうかのラインだったが、2014年初場所優勝決定戦で白鵬に敗れるも優勝同点で、次の場所春場所で待望の初優勝で横綱へ。横綱になってからは4回優勝しているが(昨年の春場所・夏場所連覇)、その反面横綱になる前は2008年九州場所のみの休場でしたが、横綱昇進後は怪我が増え休場も増えているのが厳しいところです。時折引き癖が墓穴を掘るケースも。

稀勢の里


15歳で当時のしこ名は本名の「萩原」で入門、白鵬・日馬富士・鶴竜の後に横綱になる力士から若干遅れての入門でした。初土俵から順調に番付を上げて、2004年夏場所貴乃花(二代目)に次ぐ史上2番目の若さで新十両に。その年の九州場所で新入幕と同時にしこ名を「萩原」から変更。白鵬の63連勝を2010年九州場所でストップするシーンがあったもののなかなかここ一番の勝負弱さもありなかなか上位定着できない時期も続きました。2011年初場所から関脇で、九州場所終了後に基準から1勝足りなかったが大関昇進。大関に上がってもなかなか優勝に縁がなく5年間苦しみ続けました。2016年年間最多勝挙げその年の九州場所で3横綱を撃破し、2017年初場所待望の初優勝。千秋楽でも結びの一番で白鵬に押されながらも土俵際で大逆転し若乃花(三代目)以来の日本人横綱に。新横綱で迎えた春場所いきなり12連勝も13日目日馬富士戦で左肩付近を故障。千秋楽照ノ富士に本割・優勝決定戦で連続で勝って新横綱で初優勝も代償が大きかった。夏場所から翌年名古屋場所まで8場所連続休場。強行出場しては休場も多々ありました。2018年秋場所で2桁勝つも、九州場所初日から4連敗で休場、今年の初場所も初日から3連敗で引退。同時に荒磯親方に。横綱昇進手前あたりの相撲を見ると怪我さえなければといった印象があります。(それまで怪我の休場はわずか1回)怪我で得意の左からの攻めをできなくなったのも大幅に縮めた要因でしょう。春場所のNHKテレビ解説で登場していましたが的確で明るい印象のある話をしてくれていました。

豪栄道


大阪府寝屋川市出身の力士です。埼玉栄高校から角界に入り2005年初場所で初土俵。2006年秋場所で幕下優勝してその翌場所九州から新十両、2007年秋場所から新入幕。その場所でいきなり優勝争いし白鵬や安馬(後の日馬富士)と対戦するなど期待の力士として注目されました。2010年朝青龍の現役最後となる黒星となる金星をつけるも、角界のとある不祥事に絡み1場所出場停止で十両陥落の時期も。ただすぐに幕内に戻り2012年夏場所から14場所関脇を務め、2014年名古屋場所の12勝で大関に。大関昇進後はなかなか2桁勝てずカド番も多く非難の的になっていましたが、2016年春場所地元で12勝挙げると、その年の秋場所では初優勝を日本人では1994年貴乃花以来の全勝で飾りました。現在も大関として在位し、今年の春場所では優勝争いこそできませんでしたが12勝挙げ大関昇進することになる貴景勝にも土をつけました。(その取組を生で見ていました)まわしを掴むと強いのですがその反面強引な引き技で墓穴を掘るシーンも見えます。

琴奨菊


2002年初場所本名からのしこ名「琴菊次」という名前で初土俵。幕下で一旦苦しむも2004年名古屋場所で新十両で今のしこ名「琴奨菊」に変更。2005年初場所新入幕も負け越し十両陥落するも次の春場所で十両優勝して夏場所再入幕。そこからは幕内に定着し、2011関脇で3場所合計33勝で秋場所終了後大関昇進。九州場所ご当地場所をさっそく大関で迎えることになる。大関昇進後は不安定な成績で皆勤で負け越しや怪我による休場でカド番で迎えることも多々でした。しかし2016年初場所白鵬・日馬富士・鶴竜の3人の横綱を全員下し14勝1敗で初優勝でした。この年の九州場所、翌年初場所で連続負け越しで大関から陥落。春場所2桁勝てば復帰もあと1個届かず9勝でした。現在は平幕で相撲をとっていますが、今年の春場所では久々に11勝勝ってまだまだ健在です。大関時代最後の仕切りの際の体を大きく後ろにそらすポーズがフィギュアスケートの荒川静香さんの「イナバウアー」のようなポーズに似ていて「琴バウアー」とも呼ばれています。

高安


2005年夏場所初土俵。元横綱稀勢の里と同じ茨城県出身で稀勢の里の弟弟子です。2010年秋場所幕下で全勝優勝して十両昇進し平成生まれで初の関取に。十両で3場所優勝して2011年名古屋場所で新入幕。2014年九州場所で白鵬・日馬富士から金星を挙げるなど着実に力をつけて2017年夏場所終了後大関昇進。大関に昇進後は休場を除いて負け越しは無く2桁勝利も多いですが、まだ優勝経験がありません。兄弟子稀勢の里も初優勝まで時間かかりましたが。突き押しや左四つからの寄りが強みだが腰高な部分を突かれそこで苦戦することも。ちなみにこのしこ名「高安」は本人の苗字をそのまま使用しています。また母親がフィリピン人で日本とフィリピンのハーフです。(AKB48に在籍していた秋元才加さんとは幼馴染で秋元さんも同じく母親がフィリピン人で日本とフィリピンのハーフです。)

貴景勝


2014年秋場所前相撲、九州場所序ノ口で、翌初場所序二段でそれぞれ全勝優勝。2016年春場所幕下で全勝優勝して夏場所新十両へ。十両4場所目のその年九州場所で13勝2敗で優勝して2017年初場所新入幕。新入幕と同時にそれまで本名「佐藤」をしこ名にしていましたが、上杉景勝にちなんで当時の師匠貴乃花親方の貴を頭につけて「貴景勝」に。その年の秋場所に日馬富士、九州場所に日馬富士・稀勢の里から金星を挙げる。2018年秋場所から小結で小結2場所目九州場所13勝2敗で初優勝。関脇昇進して2019年春場所ご当地場所(兵庫県芦屋市出身)で10勝5敗。奇しくも7勝7敗で迎えたカド番大関栃ノ心との入れ替え戦のような形になり千秋楽で勝って昇進になりました。(前述九州場所の優勝は秋場所後貴乃花親方が退職してしまい、千賀ノ浦部屋に移籍しての優勝でした)突き押し相撲を得意としていますが、上手をとられると苦戦する傾向があるのでそれが今後大関・横綱に向けての課題になるでしょう。

遠藤


日本大学4年のとき全日本相撲選手権大会と国体で優勝。アマチュア横綱・国体横綱の2つの称号を手にし2013年春場所幕下10枚目付け出しでデビュー、2場所続けて5勝2敗で十両へ、新十両の名古屋場所で14勝1敗で優勝し、秋場所即新入幕。膝や足首の故障に悩まされることもあって十両陥落した時期もありましたが、これらの怪我が癒えて安定した相撲をとることができるようになり、2018年夏場所には小結昇進。ただここで怪我もあって大きく負け越して再び平幕へ。現在は平幕で上位でなかなか勝ち越せない傾向もあります。左からの四つ相撲が得意ではありますが、馬力ある力士には弱い傾向があります。なおしこ名は三役昇進した場合は変更との噂もありましたが、現在も変わらず本名の「遠藤」で相撲をとっています。(むしろ定着したので特に変更しなくてよい思います。

栃ノ心


ジョージア(かつてはグルジアと呼ばれていました)出身の力士。2006年春場所で初土俵。2008年初場所新十両でいきなり優勝、そして夏場所で新入幕。一時小結に上がった時期もありましたが、2013年名古屋場所で膝に大怪我を負ってしまいそこから翌年初場所まで休場して幕下下位まで陥落。幕下で2場所連続優勝すると、名古屋場所・秋場所十両で優勝。秋場所に至っては全勝優勝でした。故障から蘇って九州場所で再入幕。しばらくは平幕の上位下位をいったりきたりでしたが、2018年初場所14勝1敗で待望の初優勝。春場所・夏場所も関脇で2桁で文句なしに名古屋場所で大関昇進です。ただ大関昇進後新大関で怪我に泣かされ、カド番の今年の春場所で7勝8敗負け越し。奇しくも千秋楽大関を狙う貴景勝に敗れ入れ替え戦で敗れた形になり5場所で関脇陥落です。但し夏場所2桁勝てば大関に復帰できるのでそこを目指していきたいところです。持ち前のパワーからそれで他の力士を吊り出すなど圧倒する部分あるが、パワー重視するあまり怪我しやすくなる傾向(把瑠都がそれで引退を余儀なくされました)あるので、それに気をつけていかないといけないでしょう。

琴欧洲


ブルガリア出身の力士。2002年九州場所初土俵。さっそく翌2003年初場所序ノ口優勝すると、2004年春場所で幕下優勝で翌場所新十両、名古屋場所で十両優勝で翌場所新入幕。早くも2005年春場所には新三役小結昇進、その場所こそ負け越すも夏場所平幕で勝ち越し、名古屋場所から再び小結へ。秋場所から関脇で九州場所で11勝挙げて3場所で36勝で大関へ。大関昇進後は期待されるもなかなか勝ち星伸ばせませんでした。(それでも途中休場以外は勝ち越しています)2008年夏場所の優勝が大関として最初で最後の優勝に。2011年以降途中休場が増えてしまい、2013年秋場所・九州場所を連続途中休場で負け越すと8年間守ってきた大関から陥落。2014年初場所2桁勝てば復帰も8勝に終わり、春場所も初日勝っただけで以降9連敗し引退。2014年初場所前に日本国籍取得し、帰化を果たしていたのでその後は「鳴門親方」を襲名して以後は更新の指導にあたっています。四つ相撲が得意で脇の甘い稀勢の里を現役当時は得意にしていました。ただプレッシャーに弱いのが難点ですね。琴欧洲のしこ名ですが、2006年秋場所までは「琴欧州」でした。

主に20代・30代前半の人が子供だった頃から今現在活躍する力士がやはり中心になってきますね。一時大相撲は不祥事が重なり、人気低迷も囁かれたこともありました。しかし稀勢の里の横綱昇進や遠藤・貴景勝など新たな日本人期待力士の登場などで人気は蘇ってきた思います。大阪で開催される春場所のチケットも発売即完売ということが非常に多いです。

⇒18才・19才・20代歓迎の求人はコチラ

⇒20代後半~30代歓迎の求人はコチラ

若貴とそれに挑むハワイからのライバル

1990年代中盤から2000年代初頭にかけて大相撲が注目を集めた時代でもありました、それは俗に言われる「若貴フィーバー」です。兄の三代目若乃花(旧若花田)、弟の二代目貴乃花(旧貴花田)が相撲界を沸かせそこにハワイからの曙・武蔵丸が挑む構図でした。今挙げた4人は全員横綱になりましたが、この4人以外にも個性的な力士もいました。その当時の主な力士をピックアップしていきます。

貴乃花(二代目)


若貴兄弟の弟です。1988年春場所初土俵、1989年夏場所・秋場所幕下で優勝すると、九州場所から十両に昇進。1990年夏場所新入幕も、名古屋場所で十両陥落も九州場所再入幕。1991年夏場所初日前頭筆頭で横綱千代の富士と対戦。千代の富士を寄り切って千代の富士は数日後に引退。新旧交代を予感させるものでした。1993年初場所に大関昇進すると、1994年秋場所・九州場所連続で全勝優勝で1995年初場所には横綱に。横綱としても15回(横綱昇進前に7回優勝して合計22回)優勝しているが、その15回目の優勝2001年夏場所14日目に膝を大怪我。千秋楽強行出場して優勝→小泉純一郎当時の総理大臣が「痛みに耐えてよく頑張った」の名言を残すも代償は重く7場所連続休場、2002年秋場所復帰して12勝も九州場所全休で2003年初場所復帰も引退。引退後は親方として後進の指導にあたったりもしていましたが、昨年2018年いろいろあった末相撲協会を退職しました。

若乃花(三代目)


若貴兄弟の兄です。1988年春場所初土俵(弟は中卒で、兄は高校中退で相撲界に入りました)。さっそくその年夏場所序ノ口で優勝、九州場所三段目で優勝。1990年春場所で新十両、その年の名古屋場所優勝して秋場所新入幕。小柄で怪我も多く、弟と比較すると出世遅れた感があるが、1993年春場所小結で優勝し、その年の秋場所で大関に昇進。1995年九州場所では弟との史上初となる兄弟での優勝決定戦を制し待望の初優勝でした。1998年春場所・夏場所連続優勝して弟に遅れること3年でようやく名古屋場所で横綱昇進。このあたりから兄弟の不仲説が囁かれることに。横綱に昇進して怪我に泣かされ、1999年秋場所では皆勤負け越しで2場所連続全休で、2000年春場所復帰も5日目栃東に敗れ引退。引退後は親方として指導にあたるも1年で退職し、その後はタレントに転身しています。


ハワイ出身で帰化した元高見山がいる東関部屋に入門。1988年春場所初土俵は若貴兄弟と同期になります。1990年春場所新十両、秋場所新入幕は若乃花(三代目)と奇しくも同じなのですね。1992年夏場所関脇で自身の初優勝で、名古屋場所から大関に。名古屋場所全休しカド番の秋場所途中まで負け先行も盛り返し脱出すると、九州場所・翌1993年初場所連続優勝で横綱昇進へ。1993年名古屋から九州までは3連覇で名古屋場所では若貴兄弟、九州場所では武蔵丸との優勝決定戦を制しました。1994年頃から膝の故障との戦いになり、休場も増えてしまいました。2000年名古屋と九州でそれぞれ優勝するのですが、2001年初場所後全休のあと引退を発表。ライバルだった貴乃花(二代目)との対戦は42回ありましたが、うち27回が千秋楽結びの一番で対戦。これは白鵬と日馬富士の対戦でさえ届かない記録です。曙貴時代と言われていました。引退後は親方として指導も2003年に退職。その後は格闘技に転向。現在はリハビリ中です。

武蔵丸


曙や若貴兄弟から1年少し遅れて1989年秋場所で初土俵。1991年名古屋場所で新十両で優勝、同年九州場所で新入幕。翌年1992年夏場所で初の三役に。1994年春場所から大関に。その年の名古屋場所で全勝優勝し、横綱への期待生まれるも曙・貴乃花(二代目)の全盛期もあってなかなか連続優勝はできず(大関時代1度もカド番ありませんでした)、ようやく1999年春場所・夏場所と連覇して横綱に。その年の秋場所・九州場所連覇するも翌年初場所故障で初の途中休場。そこから故障が目立つようになります。但し2001年は優勝1回、優勝同点2回(1回は前述の貴乃花との優勝決定戦)、2002年も優勝3回しますが、その年の九州場所から手首の怪我が悪化し2003年九州場所で引退。日本国籍を現役時代に取得していましたので武蔵川親方に。親方の傍らタレントとしても活躍しています。安定感のある突き押しに、右で差して右腕で相手を圧倒する相撲の力士で重ねた優勝回数は12回です。曙の11回より1つ多くなりました。

貴ノ浪


若貴兄弟より1年早く1987年春場所初土俵もなかなか関取になれず1991年春場所ようやく新十両に、そして永遠のライバルになる武蔵丸と一緒に九州場所で新入幕。1993年夏場所新三役小結に昇進すると、1994年春場所からこれも武蔵丸と一緒に新大関に。大関で2度(1996年初場所と1997年九州場所)優勝し安定した成績を残し続けました。負け越してカド番になっても次の場所で安定した成績を残していました。1999年秋場所途中休場し、九州場所も負け越して大関陥落。2000年初場所関脇で10勝挙げ復帰も春場所・夏場所連続負け越しで再び関脇陥落。以後は戻れなかったが2004年夏場所まで幕内で相撲を取り続け引退。引退後は音羽山親方として指導していたのですが、現役時代から病気がちで2015年43歳の若さで亡くなられたのは非常に残念です。

魁皇


1988年曙、若貴兄弟とともに入門。この3人からは遅れますが1992年初場所新十両、1993年夏場所新入幕(但しすぐに十両陥落しその年の九州場所再入幕)。1994年夏場所に新三役小結昇進後は三役と平幕上位を上下しそして2000年夏場所小結で初優勝挙げると関脇で迎えた次の名古屋場所も勝ち越し大関へ。大関で4度優勝するも2005年以降途中休場とカド番勝ち越しの繰り返しで、2009年全ての場所で8勝7敗という珍記録も、2010年九州場所で3年ぶりの2桁挙げるも、2011年当時の通算1位だった1047勝挙げた名古屋場所で引退。引退後は浅香山親方に就任。現役当時は持ち前の腕力・握力を活かして上手投げや小手投げで相手を倒す相撲が多い傾向にありました。

千代大海


1992年九州場所初土俵、そして1995年名古屋場所で新十両、しかし十両で苦しみ1997年名古屋場所で優勝してようやく新入幕。1998年夏場所小結昇進すると関脇で迎えた1999年初場所若乃花(三代目)との優勝決定戦制して大関に。いきなり新大関でカド番でしたが、そのカド番で負け越した直後(当時は公傷制度があったのでそれを利用していた部分もありますが)はしっかり勝つ傾向にありそのパターンで迎えた2003年春場所で優勝。しかしこれが現役最後の優勝に。その後2004年以降は怪我の増加で突き押しの破壊力も見られなくなります。それでも2009年までは大関でしたが春場所で2勝13敗、秋場所・九州場所連続途中休場で関脇に陥落し2010年初場所をもって引退です。引退後は佐ノ山親方でしたが師匠の九重親方(元千代の富士)が亡くなってからは九重親方を襲名しています。九重部屋所属の現役力士「千代大龍」のしこ名は千代大海龍二が由来です。

この世代になると30代~40代の人が小学生時代から中学生時代に見た力士が中心となってきますね。若貴兄弟に関しては相撲を知らない人でもインパクト強いですし、今でも2人ともテレビで目にすること多いですが現在この兄弟は不仲が続いてしまっているのですね。しかし先月ある番組で貴乃花がテレビ出演した際に「(これから)心一つになれればな、と思います」と言っていたのでいつかは兄弟和解して再び仲が良い兄弟として見てみたいと思います。

⇒30代・人妻歓迎の求人はコチラ

小柄な最強横綱千代の富士で沸かせた昭和末期から平成初期

実は私が最初に相撲を見たのはこの世代の力士でした。幼少期祖母が相撲大好きで祖母の影響で相撲を見ることが多く、小さい頃は毎日16時頃は学校から帰って18時までよく見ていました。ちょうどそれが1980年代終盤から1990年代前半にかけてで千代の富士が横綱として君臨していた時代でした。30代後半から40代前半の人にとっては子供の頃に馴染みがある力士になるでしょう。

千代の富士


自分が一番推しの力士でした。1970年秋場所初土俵、1974年秋場所幕下で全勝優勝して十両、翌年秋場所新入幕もすぐに陥落し一時は幕下まで戻ってしまいます。1978年再入幕すると、1981年初場所で関脇で初優勝し大関へ、名古屋場所で大関で優勝して秋場所から横綱へ。横綱になってからは小さい体でかつ脱臼癖がありながらもそれを感じさせない鍛え上げた体で圧倒。横綱として29回(合計で31回)優勝、九州場所は1981年から1988年まで8連覇。そしてその1988年九州場所千秋楽昭和最後の大相撲で大乃国に止められるも夏場所から九州場所まで53連勝、歴代第2位(当時、白鵬の63連勝に抜かれ現在は3位)の記録でした。1991年夏場所初日に貴花田に敗れ数日後引退。引退後はNHKで現在解説している北の富士さんから九重部屋を引き継ぎ九重親方に。千代大海、千代大龍らを育てるも2016年7月前年から発生していた膵臓癌のため61歳で亡くなってしまいました。九重部屋は佐ノ山親方だった千代大海が引き継いでいます。最近では千代の国、千代丸と千代鳳(この2人は兄弟です)も台頭してきました。モデルの秋元梢さんは千代の富士の次女にあたります。

大乃国


1978年春場所初土俵。1982年春場所新十両も一旦陥落し九州場所で新十両、翌1983年初場所で優勝して新入幕。1985年秋場所大関に昇進すると、1987年夏場所で初の優勝を全勝優勝で飾ると次の2場所も優勝次点で九州場所横綱昇進。横綱になってからは1988年春場所で1回優勝するものの怪我や千代の富士全盛期もあって恵まれない印象だったが、その千代の富士を昭和最後の相撲となる1988年九州場所千秋楽結びの一番で53連勝でストップさせる勝ち星をあげました。1990年春場所から4場所連続休場、九州場所から3場所連続2桁で盛り返すも1991年夏場所全休、翌名古屋場所途中で引退。今は芝田山親方として指導をしています。またスイーツなど甘いものが全体的に好きで「スイーツ親方」というあだ名で親しまれています。余談ですが芝田山部屋は春場所の期間中ヤンマースタジアム長居内にある長居ユースホステルを宿舎にしています。

北勝海


千代の富士、大乃国同様北海道出身。1979年春場所初土俵、1983年初場所で幕下で全勝優勝、名古屋場所で十両優勝して幕内へ。同じ北海道出身同部屋の大横綱である兄弟子・千代の富士に鍛えられ1986年春場所で初優勝、名古屋場所終了後大関昇進。このときに本名の「保志」というしこ名から「北勝海」に変更です。翌年春場所優勝し名古屋場所から横綱へ。1988年名古屋から3場所連続全休も1989年平成最初となる初場所で優勝。1991年春場所優勝するもその場所で膝を故障し、翌年春場所で引退。(引退後は曙の昇進まで横綱不在でした)引退後は八角親方で現在は日本相撲協会の理事長を務めています。八角部屋からは現在北勝富士が現役力士として活躍しています。

旭富士


1981年初場所で初土俵。1982年春場所新十両で翌年の春場所幕内昇進。1987年九州場所で大関昇進し次の1988年初場所で優勝。しかしそれ以降2度北勝海との優勝決定戦に負けるなどなかなか優勝まで届かなかったが、1990年夏場所・名古屋場所連続優勝で横綱へ。1991年夏場所優勝も、秋場所体調崩してしまい、翌年初場所引退。1991年夏場所時点で4人横綱いましたが夏場所で千代の富士、名古屋場所で大乃国、初場所で旭富士、春場所で北勝海がそれぞれ引退し、一気に横綱不在に。安治川親方を経て現在は伊勢ケ濱親方として日馬富士・安美錦・照ノ富士らを輩出しています。技を活かした相撲が多く5回技能賞を獲得しています。

小錦


高見山以来のハワイ出身力士。1982年名古屋場所初土俵で、1984年春場所・夏場所十両で連続優勝で新入幕。1987年名古屋場所で大関昇進、最重量だった体重から膝の怪我に悩まされるも1989年九州場所で悲願の初優勝。1991年九州場所、横綱が全員引退した1992年春場所優勝。横綱昇進目指すも叶わず1993年秋場所(途中休場)・九州場所連続負け越しで関脇陥落し1994年初場所で大きく負け越して平幕へ。1997年九州場所まで平幕で相撲を取り続け若貴の壁になった時期もありました。引退後は佐ノ山親方(日本国籍取得済だったので)になるもすぐに退職し「KONISHIKI」⇒「小錦八十吉」名義でタレント活動しています。

朝潮(四代目)


近畿大学時代3年・4年に学生横綱とアマチュア横綱の2冠を連続で獲得。1978年春場所幕下付け出しで入門。名古屋場所には新十両、九州場所には新入幕を果たす。1983年初場所・春場所関脇で14勝、12勝連続挙げて大関に。大関昇進後優勝は1985年春場所の1回で9勝6敗や8勝7敗が多い傾向に。(千代の富士や大乃国など横綱・大関に強い力士がいた影響もありますが)そして1989年春場所を最後に引退。引退後は親方(山響→若松を経て現在は高砂親方に)として朝青龍らを育てた傍らテレビのバラエティー番組でも活躍していました。今宮戎神社の福娘と大関時代に結婚しています。

この世代と言いますと千代の富士の力強さが際立っていた時代でした。同じ部屋の横綱で今は相撲協会理事長をやっている八角親方(北勝海)もいて、4横綱が現在日本人力士でそこにハワイからの巨漢小錦が挑んでいく構図もありました。今挙げた力士以外にも霧島、寺尾、安芸乃島、水戸泉など個性的な力士も多かったのが印象的ですね。

⇒40代・50代・60代~・熟女歓迎の求人はコチラ

まとめ

野球の時でも言いましたが時代によって見てきた力士は大きく変わってきます。前述しましたが我々の世代ですと千代の富士あたりになりますし、我々より少し下の世代でしたら若貴に曙の世代、さらに最近の世代では白鵬などのモンゴル系統に21世紀初の日本人横綱稀勢の里の世代になります。年代別でこれといった力士に注目してその世代で話の幅を膨らませるのもよいかもしれませんね。

阪神タイガースを中心にプロ野球を年間20試合近く観戦している部員。最近では野球以外にもサッカーや大相撲の観戦も。

この記事のライター

torakichi

torakichi

はじめまして、ビガーネット編集部員です。 阪神タイガースを中心にプロ野球を年間20試合近く観戦して...